理解

2002年01月29日 23:56

よく「自分を理解してください」とか「相手を理解してあけましょう」

という言葉を耳にします。僕も、よく使ったりします。(笑)


さて、その『理解』ですが、

じゃあ、どの程度を『分かれば』、理解したことになり、

どの程度だと理解したことにならないのか・・・

という話になったりします。

でも、それは極論。

答えの出ない正解を待つようなものだと思います。

たとえば、あなたは、自分自身のことを、どれだけ『理解』していますか?

おそらく、すべてを分かっているようなつもりでいても、

分からないことの方が、多いのではないでしょうか。



おそらく「自分を理解してください」と懇願する人にとっても、

自分のすべてを分かって欲しい、とは思っていないでしょう。

いや、分かったと云われても、納得できないはずです。


『理解』という言葉は、『結果』を示す言葉なのでしょうか。

たとえ、そうだとしても、それはどんな物事に対しても、無理なことなのです。


自分には、自分の『思考の枠』があり限界があるし、

物事や、相手の心も、日々、変わって行きます。

だから、分かったつもりでも、それはその一時点での、

一部分でしかないのです。


では『理解』は、どうしたら良いのか・・・

それは、その人や、その物事を『分かろうとする』プロセス(過程)、

自分の気持ちを(相手に)向けること、ではないでしょうか。


人は、相手が自分を『分かろうとしている努力』を感じて、

「ああ、この人は、自分を理解してくれようとしている」

と、安堵できるような気がします。


たとえ、それが自分自身の、ほんの一部分の理解であっても、です。

人は知っているのですよね。

物事の理解に完全が無いことを。


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