気持ちの ゆとり

2001年10月23日 23:15

『ゆとり』と云うと『時間』や『お金』、そして『モノ』と

考えてしまいがちですが、果たして そうでしょうか。


たしかに、お金が豊富にあれば、いろんな事ができるし、いろんな場所にも行ける。

時間が豊富ならば、したいことも可能になる。

モノが豊富にあれば、不自由を感じず暮らすことができる・・・
しかし、いくら、そうしたものが あったとしても、

使い方がわからなければ、いずれ苦痛なだけになります。

それに『それだけ』では、いずれ侘しさ(寂しさ)を感じて

くるようになりますね。


それは何故だと思いますか?

それはたぶん、

心がお金では買えないということ。

心は、何モノにも替えられないということ。


そして、

心(命)の大切さは、時間では測れない、ということ、

ではないでしょうか。


つまり、皮肉なことに、我々人間から、

そうした人工的な物(お金、モノ)や、

そうした(時間に対する)観念を、すべて排除した(心が自由になった)とき

感じられるものが、ほんとうの『ゆとり』なんじゃないか・・・と思うのです。


道端の花をみて、綺麗だ、と感じる心。

今日、目覚められたことに、ありがたいなぁ、と感じる心。


そして、そう感じている自分に気付いたときの心・・・


そんなときの『心の幅』が、『ゆとり』なんだと思いませんか?(^.^)


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