親切

2001年10月11日 23:55

人に対しての親切が、どこまでが本当の親切なのか。

これは実に難しい問題だと思います。


そもそも、相手にとって良い事、プラスになることが親切なのですが、

目先の良い事、プラスだけでは、結局、相手にとってマイナスに

なってしまうことも少なくありません。
たとえば、愛する人の四肢が不自由であれば、その人の手や足となって

動いてあげたいと思うことも人情ですが、それをしてしまうと、

その人は一生誰かを頼って生きる可能性が出てしまいます。


もちろん、あなたが相手の一生を背負えるのであれば、それもお互いに

良いことかも知れませんが、そうもいきませんよね。

その人がその後の人生で困らないように、その人の努力を見守って

あげることも、結局は親切のように思います。


そういうふうに考えると、親切とは、たとえ恨まれても、先々を考え

お互いに辛い時期を乗り越えることなのかも知れません。

少なくとも、自分がしてあげて気持ちが良いから・・・だけでは、

成り立たないことだけは事実のようです。


そして、これに近いことで『転ばぬ先の杖』がありますね。

よく子供に「これをしては危ない」「これは失敗する」と先回りして、

何もさせない親御さんがいらっしゃいますが、考え直す余地がありそうです。


ご存知のように、人間は失敗をしながら、学び成長していく生き物です。

まだ子供が小さいうちであれば、さほど大きな失敗もなく、親もフォローに

回れるので良いのですが、自分も老い、子供も成人してからの失敗や挫折と

なると、大事になることが少なくありません。

もちろん、命に関わる冒険には注意を払わなければいけませんが、

失敗しながらの子供の好奇心には、心配でも見守ってあげるということが

大切なのではないでしょうか。


厳しい云い方をすれば、「子供を泣かせないため」という理由は、子供の為

と云うよりは、我が子の苦しむ姿を見たくない親自身のエゴというものです。

その気持ちも子を持つ親として分かるのですが、辛さを共にすることも、

親切であり愛情なのだと思いませんか。


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