受け流す

2013年09月25日 20:07

言わずもがなですが、時間は流れています。
そして、巻き戻したいと思っても、
止まって欲しいと願っても、
『いま』を過去にしながら、どんどん進んで行きます。

そんな時間の流れの中に、私たちの人生が置かれています。

そう、、私たちは時間の流れの中で、
喜んだり悲しんだり、あるいは怒ったりしながら
生活しているわけです。

本当であれば、そんな私たちの喜怒哀楽は、
一時的であることが理想なのかも知れません。

つまり、時間の流れとともに、
私たちの喜怒哀楽も、瞬間、瞬間を思い出にしながら、
流れていってくれたほうが、
前へ進みやすいですよね。

悲しみをいつまでも引きずってしまったり、
いつまでも腹を立てていたら、
次の行動に移れませんからね。

まあ、人の心はそれほど単純ではないと言う意味で、
あくまでも『理想』なんですけど。。(^^;


さてそこで、そんな理想に少しでも近づく鍵としてあるのが
今回のテーマである『受け流す』です。

その時々に、悲しいこと、腹立たしいことがあったとしても、
「それは、それ」として、心の中の時間を止めずに、
前へ進むこと・・・が、ここでの受け流すであると考えて下さい。

つまり、流れ作業のように時間(現実)は流れているのに、
心だけが止まってしまうと、
生きていくうえで、ますますツラいことになってしまうので、
起こった事実は事実として受け止めながら、
「次、行ってみよ~」
と、感情とは別に行動できることが受け流すです。


そこには、
感情はコントロールできないが、行動はコントロールできる。

そして、
感情は、そこで心を止めてしまわなければ、やがて鎮まる
というのが森田療法の考え方です。

つまり、いつまでもその悲しみや、怒りのことを考えてしまうと、
ますますその感情が膨れ上がって鎮まらないが、

その感情のままでもいいから、次の行動へ移してしまえば、
いつの間にか、悲しみや怒りも鎮まってくれるよ、
という法則的な考え方ですね。


ですから、自分は感受性が強くて受け流しなんてデキナイ・・・
と言うのではなく、
悲しみは悲しみとして、怒りは怒りとして、
その感情を持ちつつ、次の行動に移すことが受け流すである、
と考えてみては如何でしょうか。

はじめはギクシャクして、なかなか難しくても、
感情の流れが体感できてくれば、
受け流しの達人になれるかも知れません。(*^^*)



ただし、そうした受け流しを難しくさせるものがあります。
ただし、そうした受け流しを難しくさせるものがあります。
それは、神経症などの、いわゆる心の病がある場合です。

フロイドの時代から、
ヒステリーは回想の病である。
と言われてきました。

言い換えれば、
神経症は過去に対するこだわり(心の傷)がその原因、
という訳です。

つまり、症状として表れる不安、そして悲しみや怒りは、
現実のことに対するものではなく、
過去の体験が想起された(記憶が蘇った)ものである、
と言えるのです。

※PTSDで起こるフラッシュバックなども、
同じもの(同じ原理)と考えてよいと思います。

たとえばそうなると、
現実に起こる悲しみや怒りの感情は、ある意味病的ですから、
気持ちの上では「受け流そう」と考えても、
なかなかその感情から離れられず、次の行動に移れない・・・
というのが実際です。

要するに表現は悪いですが、
過去の古傷という地雷を踏んでしまい、
動きがとれなくなってしまった、ようなもので、
受け流すどころの話ではなくなる訳です。

もちろん、悲しみや怒りのすべてが、神経症が原因の感情
であるとは限りません。
過去の心の傷に触れない(関係ない)ものであれば、
神経症とは違う、(普通に起こる)悲しみや怒りもあります。

ただ、頭ではそうした理屈は分かっていても、
いざ、神経症になってしまうと、
「これは病的ではない(通常の)感情」
「これは神経症が原因の感情」
という区別や対処が出来なくなるのも実際です。

つまり、心の病の渦中にあっては、
受け流しをすること自体、なかなか難しいと言えます。