元教え子による中学教諭、刺傷事件(2)

2008年07月30日 23:38

ブログを書いたあと、ワイドショーを見ていたら

「恨むような問題ではないだろう」

「恨みなんて忘れちゃえばいいのに」

「恨みなんて、ただの責任転嫁の理由でしかない」

などの(少年を非難する)コメントがありました。
もちろん傷害は許してはいけないことです。

そのことを庇うつもりはないのですが、

しかし、もし、このコメンテーター意見が

世の中の声だとしたら、

ちょっと違うんじゃないかな・・・

彼らをもっと追い込むことにならないかな・・・

と危惧を感じました。



恨むということにも、いろいろな関係性が考えられますが、

それが「誰でもいい」という通り魔的な関係でない限り、

少なからず(その相手に対しての)思慕や期待の気持ちが

あったと思うのです。


つまり、相手を「いいなぁ」と慕う気持ちや、

「この人なら」という期待があって、

それを裏切られた、と感じたとき人は恨みを持つ

ものではないでしょうか。


そう考え、その考えを少し発展させると・・・

少年は、刺してしまった教諭に『父親的な存在』を

期待していたのではないか・・・という

仮説にたどりつくことが出来きます。


取材記事によると、教諭はとても熱血漢。

そして優しい人、と卒業生の評判も悪くはない。


もちろん、それだけの話ですべてを

判断することは出来ないのですが、

思い浮かぶのは『父性=父親的な存在』です。


少年と教諭のエピソードも、いろいろ取材されていました。

中学一年とき、クラスメートから「もやし」と『あだな』され

からかわれていたとき、教諭はそれを無視した。

中学二年のときに担任になった教諭が

少年の提出物に対して「字が汚い(乱暴)」と注意をし

少年が先生を『ビンタ』するというエピソードなどが

あったようですが、

たとえば、こんな推論は無理でしょうか・・・


少年は中学に入学して、教諭に好感をもった。

たとえば「この人なら自分を包む理解者になってくれるのでは」

という期待を持った。

しかし、『あだな』されツライときに助けてくれなかった。

ちょっと期待が裏切られた。

そしてその後、担任になって関係が近くなったが、

いろいろなことを注意されるうちに

「ぜんぜん自分を分って(助けて)くれようとしない」

と、キレて教諭に暴行してしまった。


それはある意味、父親の胸にすがって「バカバカ」と

叩く子どもの姿と同じような気がします。

そして彼は自分の行為(暴行)に罪悪感を感じながらも、

その行為を受け入れてもらえるかどうか

教諭を試したのではないでしょうか。


しかしそのへんは、実の父親とは違いますし、

教諭には多くの生徒との関わりもありますから、

親密な独占した関係は難しいですよね。

しかし彼にしてみれば、それを「裏切り」と感じ、

自分は「見捨てられたんだ」と思い込んだことが、

『恨み』となって残ってしまった。


卒業して3年以上も経っているわけですから、

もしそれが本当に「恨みによる犯行」であるとしたら、

それは物凄い恨みのエネルギーですよね。


それが衝動による犯行であるにしても、

その数年の間には、必ず何かしらの兆候があったはずです。

そのことに誰も気づいてあげられなかったのでしょうか・・


走り書きで、とても脈絡のない文章になってしまいましたが、

少し思ったことを書いてみました。


恨むことは良くない・・・とは云いますが、

恨むには、恨むなりの理由があります。


たしかに、それはある意味(場合によっては)

とても甘えた、幼稚な心理かも知れませんが、

そうしたことも、大人たち、社会全体が理解し

考えてあげないと、こうした事件は解決できない

ように思います。


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)