少女の父親刺殺に思うこと(2)

2008年07月22日 23:36

一緒に買い物をし、一緒に料理をつくり、

夜遅くまで一緒にテレビを観て・・・


誰の目から見ても、ほほ笑ましい一家団欒(だんらん)な姿。

なのに、どうしてそれが一転して?

と、その落差に恐怖を感じた方も多いのではないかと思います。
しかし、よくよく考えてみれば、家族も違う心(気持ち)を持つ

人間同士ですし、思春期ともなれば『私』という自我が急速に

芽生える時期で、それが反抗心となりますから、100%純粋な

仲良しなどかえって不自然(不健全)ではないか・・・とすら思います。


ならば「どのようにすれば?」ということを今回の事件を

通して考えてみたいと思います。

簡単に結論を出すことは不可能ですが、思いつくままに

書いてみたいと思います。



まず、『100%純粋な仲良し』など不自然、

あり得ないだろう・・・と、さっき書きましたが、

もちろん、仲の良い家族が全部ウソというわけではありません。

ただ人の心には、明の部分もあれば、暗の部分もあり、

決して単純ではない、ということなのです。


たとえば、ふだん穏やかで虫も殺さないような人が

急に『キレた』ように怒りだしたり、暴れだしたりすることが

ありますよね?

周囲の人は「なんで急に?」と、そのギャップに驚くわけですが、

それは「急に」というより、ずっと無意識の中に貯め込まれていた

怒りなどのエネルギーが、こらえきれずに噴き出したのだ、

と考えれば説明がつくことだと思います。


おそらくそんなとき、周囲よりも本人自身のほうが、そうした

自分の豹変ぶりに驚き、戸惑ったはずです。

しかし、ふだん経験のない感情ですから、湧き上がってくる

気持ちをどうすることもできず、なかばパニック状態になって

いますから、自分でも「どうすることもできない」。

そうしたことが『思わぬ事件』になる、のだと思います。


なので、そうした心の複雑さを理解し合えていれば、

ふだんから『お互いを思いやる気持ち』も生まれて、

「急に」という事態もある程度防げるかも知れませんよね。



そして、刺殺事件に話を戻しますと・・・

おそらく彼女は(これはまったく推測の域を越えませんが)

「自分が愛されているのか」がずっと不安で、

その不安を払拭できずに(愛を確認できずに)

父親から離れられずにいた・・・

(とても従順で、父親を慕っている姿をみせていた)

と考えたほうが妥当のような気がします。


たとえば、自分は父親に認められ、愛されたい気持ちが強い。

しかし父親はどうなのだろう?どう思っているのだろう?

弟が生まれるまでは父親の愛情を独占していたけれど、

愛情や期待がすべて弟に奪われてしまったのではないか?

自分は女だから「どうせ結婚して出て行ってしまうから」

と、さしたる愛情も期待もされていないのではないだろうか?


そうした気持ちが、彼女を(父親の職業に近い)『薬剤師志望』にし、

勉強も頑張る「よい子」にさせていたのだとすれば、

とても痛々しい感じすらしますよね。


しかし人間の心理には、多分にそうした要素があるはずです。

とくに思春期ぐらいまでの子どもの心にはあるはずなのです。

つまり「自分の為」というより、親を喜ばせたい、

親の愛情を受けたい一心で頑張る。頑張ってしまう。


とくに、不安が強ければ、尚更それを否定するために

無理をしてしまうこともある、ということを

知っておいてあげる必要があると思います。


そう考えると、彼女がそうした自分の不安を

「ねぇねぇお父さんにとって、私はどんな存在?」と

明るく打ち明けられる性格であったなら、

家族全体が話しやすい状態であったなら、

こうした悲劇は起こらなかったかも知れませんよね。


最後に・・・前回、

子どもは親から愛情を受け取り、それを確かめながら

『わたし』という自我を育てていく・・・

自立は、自我の成長なくしてはあり得えない・・・

という話を書きましたが、

子どもは、親からの愛情を疑うことなく信じることができれば、

勝手にどんどんと自立の道を歩んでいけるものなのです。

それだけ「自分は守られている」という確信がありますから、

親からの心の距離が離れても安心して冒険ができるわけです。


しかし彼女のように不安が強かったりすると(推測ですが)

不安で(いつまでも)親から離れることができない。

実はそうした親子関係が、今の世の中にはとても多いのです。


ですから、抱きしめてあげられる時期には、おもいっきり抱きしめ、

子どもとの時間を惜しまず使ってあげて欲しいと思います。

ここが肝心です。

いまは、時間を使わず、お金を使って(モノを与え)、

それを「子どもへの愛情」と勘違いしてしまっている親御さんが

多いような気がします。


しかし、スキンシップする子どもとの時間が少なければ、

親も『真実の愛情』を子どもに感じることは難しいのではないか

と思うのです。

単純に考えても、一緒に過ごす時間が多ければ、それだけ子どもの

ことを考える時間も多い・・ということですからね。


そして子どもは、それを肌で強く感じます。

どうしてお父さん、お母さんは、自分との時間を持ってくれないの?

きっと自分のことを好きじゃないからじゃないか?


親として、もし子どもに、そんな不安や疑惑を感じさせているとしたら、

やりきれない気持ちになりませんか?

もちろん、親とて、そのすべてをカバーすることは難しいと思います。

しかし、子どもへ自分の時間をプレゼントしてあげることは、

さして難しいことではないはずです。

別に1日に5時間とか、6時間とか、そんな長時間でなくても

良いのです。

一緒に過ごしてあげる時間、子どものことだけを思ってあげる時間

であれば、1日に5分でも、10分でもいいのです。

でもその時間が、どれほど子どもにとって、安心になるか。

いずれ自立する為の勇気になるか。

そうしたことを考えてあげることが、大事なんじゃないかと思います。



非常にとりとめのない話になってしまいましたが(^^:

ふと思ったことを、そのまま書いてみました。

参考にして頂ければ幸いです。


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