嘆く前に・・・

2008年01月27日 23:17

よく医師から「適応障害だと云われた」

あるいは

「お子さんは発達障害だと云われた」

というお母さんの話を耳にします。


しかし、その当人に会ってみると、

「どこが?」

と思うことが非常に多くあります。
もちろん宣告されてしまった人たちに

とっては、奈落の底の苦しみであることは

想像するまでもありませんが、

とにかく冷静に考えてみてほしいと思います。



昨今、医療の進歩なのか何なのか、

ブームと呼んでも良いぐらい、

『○○障害』という言葉が出回るようになりました。

少し以前なら『神経症』や『うつ病』という

診断で終わっていたような症状まで、

『○○障害』と細かく分類されています。


もちろん治療方針を決めるうえでは、

症状がどんな傾向であるのかを知ることは

大変有意義だと思います。


しかし、ただ分類しただけで、従来どおり

以前と同じような薬の処方をするだけで

終わってしまう治療であれば、いたずらに

患者さんを不安にさせるだけですよね。


と・・今回はそんな医療批判めいたことを

云いたいわけではありませんでした。(^^;)



本来、障害というのは、何かをすることが

困難である場合を云いますよね。


しかし人間は、クローンやロボットでは

ありませんから、当然、人によっての

『得手・不得手』というものがあります。


たとえば学校の授業が上手く受けられない。

会社の仕事に上手く適応できない。

あるいは、近所付き合いが上手くできない。


最近はどうも、その一つが上手くできないと、

簡単に『○○障害』という診断名(レッテル)が

貼られてしまっているような気がします。


つまり、ちょっとレールから外れてしまうと、

「自分はおかしい」「あなたは病気だ」

と自他で病人をつくりあげてしまう傾向が

あるように思えるのです。


でも、ちょっと待ってください。

もちろん周囲ができるのに、自分にできないことで、

不都合や問題が起こることもありますが、

ただそれだけの理由で

自分や他人を社会から「はじき出して」しまって

良いものでしょうか。


それに、「それができない人(自分)」は、

病気なのでしょうか。


学校の授業が苦手でも、得意とする分野で

頑張っている人、名を残している人は

たくさんいます。

その事が苦手であっても、他の事を

してみたら「イキイキとできた」人は

たくさんいます。


それが自分に合う合わない、

できるか、できないか、

なんて事は、誰だってあるはずなんです。


昔は、お互いに苦手なものを助けあって

社会が成り立っていました。

今も本当はそうであるはずなのに、

そんな『○○障害』というレッテルが

流行ってしまったばっかりに、

当然送れるはずの社会生活が困難に

なってしまうケースが多くなったように

思えて気掛かりです。


ご自分に、あるいはお子さんに、

もし運悪く『○○障害』という症名が

ついてしまったとしても、

あわてず、嘆かず考えてみてください。


人間だれしも、得意、不得意はあります。

人間できない事のほうが多いです。

でもそれを嘆くよりも、できることの

可能性をみつけて行くことだと思います。

(自ら)その道を閉ざしてはいけないのです。



※症名の診断にしても、お医者さんは四六時中
生活を共にしているわけではなく、
問診や患者の様子で、その後の治療を続けたり、
保険請求する関係で、何かしら症名をつけなければ
ならないという事情があります。

乱暴な云い方をすれば、お医者さんは
細かく分類された症名の中から、一番近いと
思われるものを選択し診断するわけですが、
必ずしもそれが適格であるかどうか、
私は常々疑わしく思っています。

そもそも人間の性質や能力には、それぞれ
個性ともいうべき違いがあり、限界もあります。

つまり(これも乱暴な云い方をすれば)
症状に該当する項目を見て行けば、
誰しも必ず、何かしらの障害(傾向)が
みつかってしまうぐらいです。
一億総○○障害というわけですね。

結局、何が申し上げたいのか、と云いますと、
「診断名に惑わされないでください」なのです。
そしてもし障害(苦手、不得手)があったとしても、
それを個性と考えてみませんか。


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